TOPページチーム紹介木津ミニバスの歩みミニバス交流広場 - みんなの掲示版 -試合結果|試合の様子|
監  督
島田勝栄
コーチ
菅原 哲
コーチ
殿村信治
コーチ
桜井賢蔵
マネージャー
岩尾幸治
発足のきっかけ
昭和57年の暮れだったように思うが、博労チームの指導者、小木さんから声がかかり南星中学校の横にある同じく博労チームのコーチ佐野さんの作業所に呼び出されて行ったのが木津ミニバスクラブの発足のきっかけだった。
バスケットボールなんかは高校以来関係のないものと思っていたし、何でいまさらの感がないではなかったが、ちょうどその頃に長男の担任から「お父さん、もう少し子供さんと接触する機会を作ってください。」とのお叱りを受けていた矢先でもあった。それほど子供には無関心でした。
発足と当時の状況
昭和58年5月8日(日)新設なって1年目の木津小学校体育館で第1回目の木津ミニバスクラブの開講式が行われました。

福尾先生のご尽力で木津小学校でも当時の大坪校長先生、橋本先生などの積極的なご協力をいただき、男子24名、女子20名の部員により正式発足となりました。直接的指導者としては私と菅原君とそしていまは亡き山口君の3名により指導していく体制となりました。当時はまだ高岡市では、男女とも博労、木津、平米の3チームのみで高岡ブロックとしては大島小学校、作道小学校、新湊クラブ、歌の森クラブ、堀岡クラブなど男子8チーム、女子9チームという状況でした。したがって、人数が多ければ1チームで2組のチームを出場させるなどのんびりしたものでした。
発足後のなやみと発奮
発足してからの5年間というもの、県大会に出場できたのは2期生の時学校行事とかさなった他のチームの代理出場で1回、予選リーグ1勝1敗と言う成績のみであとは出ると負けの連続という成績でした。当然、子供達も中学校へ行ってバスケットボールを部活に選択する者はいませんでした。「ただ楽しければよい。中学校へ行ってバスケットボールを・・・」の思いは通じませんでした。

子供達の思いを聞くと「博労チームのみんながうまいからどうせ試合には出れない。」と言う言葉が返ってくるばかりでした。

ちょうどその時に博労チームが全国大会上位入賞を果たし、その祝賀会に呼ばれました。その席で祝辞を依頼され思わず「木津も全国大会を目指せるチームのなります。」と発言し、参加者の笑いをかってしまいました。当時としてはドンキホーテのようなものでしたが言葉に出した以上は目標わ子供達と共有してがんばるしかないということで練習内容の見直しを行い、かなりハードな練習に切り替えていきました。いま思えば、よくぞやったものだと思う地獄の「6分間ダッシュ・・・」などなど。

しかし、これまでは夏休みになると櫛の歯が抜けるようにやめていった部員がみんな残りだしたのが今でも印象に残っています。残念ながらこの6期生も県大会2戦目に再々延長で敗れてしまいました。みんなの涙を見たのが発足依頼6年目でした。
トロイカ体制の発足
この年、木津小学校の亀井教頭先生から大きな示唆を受けました。「島田さん、この1年間の活動を見ていて指導者が真剣に打ちこめば子供達が変わることがわかったでしょう。本当に勝たせたかったら保護者会をつくりなさい。ただし、保護者会は、毒にも薬にもなりますよ。」との言葉でした。「もし、毒になったら責任をとればいい。勝つ喜びを教えてやりたい。」と言う思いから保護者会を結成しました。指導者、保護者、子供達のいわば<< トロイカ体制 >>を築いた結果、現トィンクルの竹田さんの紹介を得て県外チームとの行動範囲が広がり、初めての北信越大会にこぎつけることができました。

それ以来はどんな年でも何とか県大会上位をキープ出きるまでに子供達の意識もかたまるようになってきました。
いま意識していること
どんなスポーツにも勝ち負けはつきものです。しかし、それは結果であって大切なのはその経過だと思います。トランジションの速さを競うバスケットボールだからこそ、言えることは限られた時間内の集中力、そして攻める気持ち、なによりもスポーツマンとしての礼儀だと思います。
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